“折々のことば”でも「目的」と「自由」がテーマに

人は「歌いたい、演奏したい」と思う「純粋な心」を持っています。

ところが、やり始めた途端に余計な目標を立てずにはいられない「性」があるようです。

そして、その目標に愚直に向かうことにより、当初の「純粋な心」を忘失しています。 

前回のブログのテーマで「目的」に関する人間の「性」について書いたところ、

なんとタイムリーにも 鷲田清一氏 の “折々のことば” 2023年4月4日、5日付けに

連続して「目的」と「自由」の相関性が描かれていました。    

悩みの相談に乗って下さったようにさえ思えます。

 

音楽の広場

人は「歌いたい、演奏したい」と思う「純粋な心」を持っています。

ところが、やり始めた途端に余計な目標を立てずにはいられない「性」があるようです。

そして、その目標に愚直に向かうことにより、当初の「純粋な心」を忘失しています。   

私は、長い間、そんな矛盾を見つめ続けて来ました。

「愉しいリコーダー教室」「変幻自在の愉しい合奏団」を始めて以来、「好きな人が好きなように出来る音楽」というものを、もう一度取り戻したいと願っています。



 

 

岡坂弘毅氏が徳島でリサイタルを開催します!



出演:

演目・曲目:

  • セレナータ(トスティ) 禁じられた音楽(ガスタルドン) カタリ・カタリ(カルディッロ) 歌劇『愛の妙薬』から 「人知れぬ涙」(ドニゼッティ) 歌劇『ランメルモールのルチア』から 「わが祖先の墓よ」(ドニゼッティ) その他、岡坂弘毅の魅力あふれる声を存分にご堪能いただけるプログラムをご用意して皆様のご来場をお待ちしております。

似てはいるけれど、異なる音楽がある

「外から生まれる音楽、内から生まれる音楽」              似てはいるけれど、異なる音楽

合唱コンクール吹奏楽コンクールなどでは、一糸乱れず、パワフルで、人目を惹きつけるような演奏が高く評価されます。

しかしそれらはライバルを仮想し、「競争」し「勝利」するということを根底に置いた産物であって、その音楽は「見栄え」「闘争心」「優越感」が先行しています。

 

篠田桃紅さんは、そんな、外から命令され「揃える」ということが大嫌いだったようです。

 

付和雷同ではなく、個々の考えを大切にしながら、

個と個が「共振」し、「共鳴」し合って生まれるものこそ最高であり、目指す究極のものだということでしょう。

 

音楽においても、本当に素晴らしい音楽とは、そうした「内なるところ」から生まれるものだと思います。

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岡本太郎氏の素晴らしさ 再発見!

岡本太郎氏のごく短文の中に、「人間として生きる」大切なことが凝縮されていると思いました。

期せずして連載された新聞記事が、切り口は違えど、まるで申し合わせたように、大切なことを語っています。

岡本太郎氏は「誇り高くそびえ立つ人間で在れ!」と、人間の「尊厳」の大切さを………。

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イ・ラン氏は「他人の受けを気にしてはいけない!」と、自己の「主体性」の大切さを………。

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ヴァイオリニストの廣津留すみれさんはハーバード大留学の体験から「自分のストーリーを語れる人間で在れ」と………。パーソナリティの育成の重要性を語っています。

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そして、鳥羽和久氏の今、学校で起こっている「人間性まで評価する」という動きに対する懸念。

この世の中は何事にも「評価」、「成績」がついてまわります。

そのことが如何に「人間と世の中を歪めているか~」

「評価」は「格差」を見極める物差しとして好都合なのです。

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最後にジャン=ジャック・リュブナ氏の「秩序が暴力である!」という、衝撃的な論説。

「秩序は必要」ということはほとんどの人が当然と考えているでしょう。

しかし「秩序」は独り歩きし、増幅を繰り返し膨れ上がって行くものです。

芸術、芸能、スポーツ、とすべてが一糸乱れない足並みを追求し、同調を美化し、勝ち組の称賛を誇張しています。

その先に在る【恐怖」や「苦しみ」を包み隠して~。

ジャン=ジャック・リュブナ氏はそんな恐怖を警告しています。

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各氏はそれぞれに他に同調したり、他からの評価ではなく「自分自身の人間としての在り方が大切」ということを語ってくれています。

石田晴美さんが「チャレンジ徳島芸術祭」に出展

石田晴美さんはE・F・ザイラー氏の愛弟子としてピアノの薫陶を受け、長い間ピアニストとして活躍されて来ました。

視力が少し弱かったこともあり、ソロの演奏会でも、夫君和博氏(フルーティスト)の伴奏でも、いつも全曲暗譜で演奏されていました。

その演奏には、いつも生半可でない気迫に溢れたものを感じさせられました。

その晴美さんが視力がさらに落ちたということで、きっぱりとピアノと決別し、何と「籐工芸」を始めたというではありませんか!

「チャレンジ徳島芸術祭」に出展した、とのことで観に参りました。

ピアノ演奏での凛とした「孤高の迫力」が、籐の作品にも蘇ったのを感じさせられました。

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