「ぬるま湯」のような部活こそ理想

私たちの日常は何と「競うこと」、「勝った負けた」「損した、得した」に明け暮れていることだろう!
そんな世界に呑み込まれ、翻弄されている若者が気の毒だ。
しかし、今の社会ではそうした世界と無縁に生きられる者は皆無だろう。

しかし、昭和の前半の時代には、まだまだ「競わない」「煽らない」世界は存在した。

学校の部活でも「コンクール入賞」を目指したり、「優勝」を第1目標に掲げた活動はまだ芽生えていなかった。

そんなのんびりした部活の中で「ぬるま湯に浸かったような気分」で日々活動を楽しんでいた。
不思議にも、そんな中から喜び、楽しさを発見して、その道にまい進する人物はたくさん生まれたものだ。
イヤ、むしろ「ぬるま湯」のようだったからこそ、本質的な喜び、楽しさを自発的に発見出来たのかも知れない。

顧問の先生も上や、外を見ていなかった。
きちんと内側を見て、生徒だけに心血を注いで下さった。
私の中学時代、高校時代の先生方もそうであった。
「勝つこと」「コンクールで入賞すること」など眼中に無かったように思う。
「本物の先生」に溢れていた。

今や、「コンクール」や「大会」など、上や、外ばかりを見ている先生しかいない。
「先生」も時代の被害者と言えるだろうが~。