「花燃ゆ」で言わせる「フレーへイトって何じゃ?」

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で、吉田松蔭亡き後、塾生たちはドイツ語とも何語とも不明な「フレーへイト」(恐らく「Freiheit=自由」)、というキャッチフレーズを何度も雄叫びします。

萩にやって来た坂本竜馬も「フレーへイトって何じゃ?」と、吉田松蔭に訊きたかった、という一幕があります。

「フレーへイト」と何回も繰り返していていると、だんだん心の中に快感が生じて来ます。

でも、「フレーへイト」=「自由」 って言葉は、何となく快感を呼びますが、結局はよく理解出来ないキャッチフレーズです。

太平の時代が永く続いた江戸末期だからこそ、「フレーへイト」という雄叫びが出て来たのではないかという気がします。

安穏とし、世の中が膠着し過ぎていた時代だったからこそ、逆に、「自由ってなんだろう?」という、素朴な疑問が生じたのかも知れません。

そこで、坂本竜馬の「フレーへイト」=「自由」への疑問を、音楽にも目を向けてみました。

音楽は、平和で安穏としたこの時代、何の問題も、疑問もないかのように思っていましたが、改めて坂本竜馬の「フレーへイト」=「自由」という視点で眺めてみると、
案外、慣行や常識にがんじがらめにされているということに気が付かされます。

専門的に学んでいなければダメだ。  とか、
コンクールに入賞したり、有名な人だけに価値(勝ち)がある。 

                               などなど~。

そんな肩書きや、形骸に気兼ねし、純粋に音楽が好きという気持ちを萎えさせてしまっている人が大勢いるという現状~。

そんな現状を見ると、音楽も「フレーへイト」=「自由」という雄叫びを上げる必要があるのではないかと思いました。

上手い、下手ではなく、「心からの音楽する喜び」を謳い上げる。
その気持ちを大切にする。
そんな音楽活動を大切にする。

そうした視点での「自由」というものが、速い流れで失われているように思えてなりません。