基礎ってなんだろう?

子供の頃書道を習っていたらしい日野原重明先生が、「お手本を前にしないで好きなように書くのがよい。」と新聞に投稿されていた。
絵を描くのも同じだろう。
習いに行ったり、美術学校に行くとデッサンの勉強をさせられたり、色彩学や構図の講義を受けたり、すなわち「基礎」を叩き込まれる。
先生の側も、教えるからにはそういうことを前提とすることを余儀なくされている。
しかし、そのことがやがて技術や技巧偏重という現象を生み、芸術というものの根幹を見失い、芸術に対する志向力を萎えさせてしまうことが多い。

熟練の大工の棟梁は、手斧(ちょうな)で丸太からすべてを作り出す。
カンナさえ使わず、ほとんど手斧(ちょうな)一本で寸分違わない家を作っていく。
弟子を取っても、親方はつべこべ言わず、知識や理屈ではなく、毎日の即戦的な仕事の中から、しかも自力で学ばせる。
これは、好奇心や意欲を育て、やりたいという純粋な気持ちを育む、よほどましなやり方ではなかろうか?
結果からスタートするのではなく、いつもゾクゾクする未知の世界への好奇心からのスタートでよいと思う。
ものの解った先人は、基礎が何かということを発見し、基礎を行うことが能率的ということはよく解っているが、弟子に対してはそれを指示してはいけない。
自分で見つけた「宝物」は、自分にとってこそ価値があるものだ。

残念ながら、「身につけた知力を誇りたくてたまらない」というのが教師の宿命的弱点なのだ。 「見せびらかしたい」欲望に負けてはいけない。

音楽においても同じことが言える。
まずソルフェージュロングトーンをやる必要はない。
それは自分の日々の練習の中で自然に身につけるべきであるし、また必要と思えば自分で自分のためのメソードを作ればよい。
フルートの神様と言われたマルセル・モイーズは沢山の教本を作成しているが、すべて自分の能力開発を目指して作成したように見受けられる。