THE FLUTE  リレーエッセイ

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フルートの専門誌「THE FLUTE」で、フルーティストからフルーティストへとバトンを受け継いで行く「リレーエッセイ」というコーナーがあります。

その「THE FLUTE」の、表紙をめくったとたんに、「でーん」と掲載される、ちょっと目立ったページです。

12月号(Vol.139)です。

小松綾さんからバトンを受けました。
戦後間もない頃、徳島県西部の山村で、オーケストラをやろうとする風変わりな青年教師がいました。その家庭には子供たちが主導権争いをしながら回す、SPレコードがありました。それがM・モイーズの吹く「ハンガリア田園幻想曲」だということは、後になって知ったことです。
それから四半世紀後、魔法をかけられたように、夢の世界に連れて行ってくれた「まぼろしの笛吹き」モイーズ氏が日本にやって来るというではありませんか…。
最初は、ただ追っかけるばかりだった私でしたが、意を決し、ついにスイス「ボスビル」にて、モイーズ氏の眼前に立ちました。
勇気をふり絞って吹き終えると、何とモイーズ氏が椅子から立ち上がり、私の手を取って、高々と持ち上げてくれるではありませんか…。
何故手を持ち上げてくれているのか、夢中だった私にはよく解りませんでした。聴き慣れない田舎風の音楽だったのが良かったのかも知れません。
その講習会には世界各国のフルートの名手が参加していました。様々な音色、演奏スタイルがあるということをまざまざと見せつけられ、多様性の大切さ、素晴しさ、さらに多様性とは人間を愉快にさせるものでもあると知りました。
外国の人は「一色」に包括されることを嫌い、自分の世界を大切にする気持ちがとても強いと思います。自分の音色、表現に対して強引と思えるほど頑固です。そうした人たちの世界で、多様性が生じるのはごく自然のことだったのでしょう。
個性と多様性とは「表裏一体」、「原因と結果」の関係だと言えます。
そして、柔軟性のある演奏、溌剌とした自由な発想も個性と多様性を尊重するところから生まれると思います。
先日、リレーエッセイのバトンを引き継いだ小松綾さんと、阿部礼奈さんの演奏する「デュオArko」の、テレマンのよく知られた二重奏を聴きました。「あの楽譜からどうしてこのような音楽が発想できるのか~?」、
私には思いもつかないような音楽を生み出すことに、仰天させられました。テンポやフレーズ表現が自由極まりないのです。   
お二人の演奏を聴いていて、固定観念や「一色性」に陥っていた自分が恥ずかしい思いでした。
我々日本人は「一色」に向かうことを好むところがありますから、ともども気をつけましょう。
「多様性を認められないところからは芸術は生まれない。脳も枯渇する。」 お二人の演奏を聴いて、それを発見出来ました。
リレーエッセイ第25回で小山裕幾さんも留学を推奨していましたが、自由と多様性を求めるためにも、海外の異文化に触れることは、どの世代の方にとっても大切だと思います。                      
それでは勤務先ですでにバトンタッチを果たしている、気鋭のフルーティスト板東久美さんにリレーいたします。
          投稿         2014年 9月8日