芝 佳子先生ご逝去の報に驚いてしまいました。(令和3年 9月19日逝去)
夏が来れば「鳴門金時」をお送り下さるのが歳時記のようになっていました。
この夏も送っていただき、お礼のメールを差し上げた折、健康を害されたというご様子を多少は伺い知ることは出来たものの、まさか僅か一か月の後にお別れが来ようなど夢にも想像出来ませんでした。
未だに信じられません。
佳子先生との出会いは、私が文理大学(当時は徳島女子大)に就職したことからでしたが、初日に音楽研究室に挨拶に伺ったその瞬間から、私には姉が出来たような思いでした。
実際、私には姉が一人いました。
と言っても生まれてすぐに亡くなっていますので戸籍上で知るのみです。
私の上には兄ばかり、
いた筈だった姉という存在にづっと憧れを抱いて来ました。
初めてお会いした日の笑顔は、今も忘れられません。
研究室ではチェロの藤田淑子先生との名コンビで、アットホームで、みんなが愉しく、気持ちよく働けるムードを作って下さいました。
私も最高の職場に、就職出来たという喜びを持って、毎日が意気揚々としていたことを思い出します、まるで、昨日のことのようです。
楽理が専門で私の疑問には、何でもたちどころに答えてくれる佳子先生に、
私は「楽譜の発展が音楽の本来の価値を見失わせている。」と愚問を吹っ掛け、
議論を交わし続けていました。
まだ、その議論は終わっていないと思っています。
イタリアにも滞在したことのある佳子先生は、議論の時は決まって「チンザノ」を注文して、鳴門の自宅に帰るバスを一便伸ばしてくれたものです。
そんな楽しい日々は延々と続いた気がしていますが、
佳子先生には飲むといつものろけられた素敵なフィアンセがおり、
一年で寿退職されました。
学生さんも、同僚も佳子先生のご結婚には自分たちのことのように喜び、祝福していたと思います、
退職されてからも半世紀を越え、づっと交流は耐えることなく親しくして下さいました。
不思議なことに、私のお友達はまた、佳子先生のお友達でもあるということが多いのです。
私の友人は「佳子先生を介して知り合った方が多い」ということに今更驚かされます。
佳子先生にはいい方々が自然に集まって来るのです。
皆が心を開きたくなり、自分の心を素直にさせてくれる魅力をもっていらっしゃるのです。
コロナ禍でさえなければ大勢のお友達が駆けつけた筈です。
これからも、皆さん佳子先生の笑顔を思い出し、こころ癒されることでしょう~。
また、私の家には佳子先生から頂いた品々がいっぱいあります。
みんな私の「宝物」です。
それらを目にする度に佳子先生を思い出し、涙します。
ご冥福をお祈りしつつ、いつまでも「心の姉」とお慕いしたいと思います。
合掌
令和3年 9月19日