湯浅真人先生ご逝去
大学時代の彼は声楽もピアノもヴァイオリンもすべて同じくらい上手に演奏する、音楽的才能に溢れた逸材でした。
卒業後も
ピアノも譜読みが速く、私達の室内楽グループでも度々共演していただきました。
湯浅先生は今は亡き我が兄「昭夫」を恩師としてとても慕って下さり、命日には必ず友人を伴って仏前に参って下さいました。
ご自分が悩まれているときには阿波町の墓前に立ち、静かな田舎の風景を眺めては心癒されたそうです。
兄のみならず彼は川人ファミリーにとっても良き友でした。
いつも信頼し、敬愛して下さっていたと思います。
徳島市立高等学校史(10年史)(20年史)(30年史)、市高合唱部史
にも彼の友情こもった文章が寄せられています。
偉人伝の多くを読んでいて、ふと気が付くことですが、
偉人伝の裏には、その「偉人」を作り上げ、祭り上げた人たちがいたということです。
むしろそういう人たちの方が本当は「偉人」ではなかったかと思います。
兄や、川人ファミリーをリスペクトして下さるということは、むしろ湯浅先生ご自身がより高い実力を有した、大きな人間だったということではないかと、今更思います。
「早世」とも言える湯浅真人先生の生涯ですが、彼の残した業績はとても大きいものがあります。
湯浅真人先生のブログ音楽教育しょうもないネタ集&つぶやき集
はこれからも輝きつづけることと思います。
御冥福をお祈りいたします!