“地”あってこそ「地」

過日、知人のソプラノ歌手のリサイタルに「喉安め」という設定で賛助出演しました。
「喉安め」、「序曲」そして「前奏曲」という、まさしくチョイ役でしたが、いろいろな方々から過分な賛辞を頂戴し感謝しています。
その中に
「やっぱり、“生はいいですね、それに“地”です。
ビールの話ではありません(失礼しました)。」 
 というのがありました。たいへん「含蓄」のある言葉として心に響きました。

先日、ある県で
「○○県 記念オーケストラ」 委託業者が脱税!
という記事が報道されました。


私には「脱税」よりも、その県の名を冠したオーケストラのメンバー全員が、県からの委託業者によって集められた、東京近郊のフリーの演奏者だったということの方に疑問を感じました。


NHK交響楽団」とか「大阪フィルハーモニー交響楽団」など既存のプロオーケストラを県民のために招くというなら、何の疑問もありません。
既存のプロオーケストラは時間をかけて「阿吽の呼吸」を会得しているので、寄せ集めの楽団とは違って、はるかにアンサンブルが緻密で、内容が高いのは明白です。

県の名を冠し、全員県外のフリーの演奏者を寄せ集めたオーケストラを、県が率先して運営するのは一体何のためでしょうか? よく解りません。

地元が育たない、地元が元気にならない事業に一体何の価値があるでしょう。
「“”は地」  「“招聘”するなら招聘」と、ケジメをつけていいのではないのでしょうか。

一昔前には、公的な機関が予算を割き、地元の演奏者を重用する企画もたくさんありました。
すなわち ”ビール造り です。

”ビール造りの基礎を担う地元の人たちでなく、県外のフリー演奏者にお金をばらまくのは空しい限りです。

”ビール造りにこそ貴重な財源を活用したいものです。

そして、地元の宝となるまで育てよう!

今こそ
“地” あってこそ 「地」   ということの「大切さ」「重要さ」を、問い直す時だと思います。