良いものを良いと言える

大学に入学した当初、先輩や同輩が堂々と演奏の評論を戦わせるのを脇で聞いていて、田舎者の私には「すごい!」と、憧憬と自己コンプレックスの思いでした。
音楽を学ぶ者にとっては、人の演奏を批評したり講釈をすることは必要な勉強だと思いました。
(ただ、1、2年経ると、あまり根拠は無いけれどとにかく「こき下ろす」という人もいるということに気づきましたが~。)

そうしているうちに「演奏は批判するもの」という習性が身についてしまったようです。
子供のころ「音楽は素晴しい!」と、とにかく音楽を聴くのが嬉しくて、楽しくてたまらなかった頃の気持ちを見失ってしまいました。

音楽を聴くときに、いつも「こき下ろすべきところは何処か?」
と、身構えてしか音楽を聴けなくなってしまったのです。

その誤りに気づかせてくれたのは、むしろ生徒や、子供たちでした。
なんと生徒や子供たちが、私の範奏を聴いて「きれい!」と言ってくれたのです。 (生意気じゃ~!)

儀礼的な誉め言葉は耳に届きません。
素直な気持ちからの言葉だけが心を動かせます。

私より生徒や子供たちの方がよっぽど純粋で、尊敬すべき生き方をしていたのです。

いい演奏、美しい演奏を素直に、いい演奏、美しい演奏と感じる力の方が大切なことで、その人の向上により役立つということに気が付きました。

以来、私は批判と悪口しか言わない人を信じないようにしました。

よいところをズバリと言い当てる人こそ、すごい人だと思うし、
そういう人間を育てることが芸術教育の目標なんだろうと思います。