「共感」の危うさ

「共感」の危うさ
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相手の気持ちに思いをはせ、自分のことのように感じる「共感」は、いままで肯定的に捉えられてきた。
しかし、共感こそが、共感できない人間の排除につながるという「負の側面」があるということについても知る必要がある。

「共感」によって「そうだよねー」と思えない人たちの間に「枠」が出来てしまうのだ。

トランプ政権下のアメリカの移民排外政策や、LGBTに対する人々のとらえ方の違いにおいても、共感が排除を生み出す危険性が潜んでいる。

共感どころか、理解できないような違いを持った人間にも同じ社会で生きていく上で保障されるべき権利がある。

共感できなくても等しい存在として扱う社会や制度をどうつくるのかが今後の課題である。
(朝日新聞「ロバート キャンベルさんが語る『共感』の危うさ」 森千香子氏の論説を参考) 
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   このことの解決策のような名文が朝日新聞「折々のことば」に掲載されました。

 「どうか――愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」
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 必要なのは「共感」(愛)ではなく、「親切」なのですね!