今や知る人も殆どない「半田女子高等学校」

今や知る人も殆どない「半田女子高等学校」

徳島県西部美馬郡(現在つるぎ町)半田の地に、大正3年に「半田裁縫女学校」が創設されました。
後に半田女子高等学校となります。

徳島県内では稀少な私立女子高等学校として、約3000人の卒業生を送り出しています。
創設者の「近藤ナヲ」は夫の没後、、「良妻賢母」という女子教育の理想を掲げて、校長として93歳で没するまで、約70年に亘って女子教育に粉骨しました。
県西部の過疎化とともに生徒が減少し、学校維持は困難であったろうと思われますが、「近藤ナヲ」は「生徒が一人になっても学校は続ける。」と、自分はつぎはぎの着物を着、私財を投げ打って学校を維持しようとしました。
しかしながら、近藤ナヲ没後、昭和59年3月「半田女子高等学校」はについに閉校となります。

今もなお、徳島県西部の女子教育に遺した功績は、高く評価されています。
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顕彰碑
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