“そろえたがる学校”

“そろえたがる学校”
 
千葉県で小学校教諭をされているという塩崎先生の“そろえたがる学校”
というコラムにショックを感じさせられました。
 
学校では学級や学年ごとに「集団的に」評価がされることが多いそうです。
そろっていることが大切で、バラバラだと指導が行き届いていないと判断されるそうです。
 
「そろえる」ことを大切にすることは、「排除」につながります。
「排除」の不安をあおって指導しているのが、現代の教育の現状です。‥‥と
 
吹奏奏コンクールや合唱コンクールが盛んですが、その最終目標は「そろえる」ことです。
 
教師は決まりに合わせることに精一杯で「思考停止」に陥る。
子供の「何故?」に答えられず、応答関係が結べなくなる。
 
学校はそういうところにもう、片足を突っ込んでいる。
 
私は「ウイーン少年合唱団」とか、「木の十字架合唱団」の少年たちが歌う姿を見て、日本と教育姿勢が違う、と強烈に感じさせられたことを思い出します。
 
楽譜を持つ少年も持たない少年もいるし、目玉をキョロキョロさせながらながら歌う少年もいるし、背の高さはまちまちに並んでいるし、不必要な規律とか、決まりごとを課さないで、まったく野放しにさせていることにカルチャーショックを受けました。
 
日本の吹奏楽コンクールや合唱コンクールでは考えられないルーズさです。
 
日本の教育観では、訓練の出来ていない、ひどいグループだと、最低の評価をされることでしょう。
日本の常識にどっぷり浸っていると「ウイーン少年合唱団」とか、「木の十字架合唱団」の少年たちがルーズに見えるということ、そのことが怖いことです。