機械化を目指せば安泰~?

人間は機械のように速く、正確に、持続して出来ることに憧れています。
この世は機械のようにやってくれたら問題ない、効率が良いという事柄がいっぱいあります。
ディスカウントショップやファミレスの店員のマニュアル化された応対は、自動販売機と同じです。
でも、それで充分感じも悪くないし、お客様のクレイムも付け入るスキがありません。
完璧で、問題なし!  それでよいという他ありません。
 
私が使っている音楽ソフトのフィナーレも、どんなに難しいフレーズを打ち込んでも、速く、正確に、完璧に出来ます。
優秀な音楽家の中には、それに負けないくらい、どんな難しい曲も、速く、正確に、完璧に出来る人がいます。
それだけ出来る演奏者は、大喝采を受け、尊敬され、何の問題もないように思えます。
将棋の世界でも、ロボットと人とが競う時代になってきていましたが、
最近は、人間はロボットに勝てないと降伏宣言した棋士が出現しました。
 
音楽の世界も、やがて機械に降伏する日が来るのでしょうか?
しかし、難しい曲を、速く、正確にという面では、最初から決着はついている筈です。
 
それでも音楽が存在する理由は、音楽とは「速く、正確に」というものではない、というところが在るからでしょう。
 
「速く、正確に」ということ以外の要素こそ、大切にすべき事柄だということが見えて来ます。 
 
驚かれ、感心される音楽と、感動し、涙が出る音楽とがあります。
機械化された音楽は驚かれ、感心される音楽でしょう。
 
でも、機械の演奏は即興性や意外性は無理です。
テンポの揺らぎ、rubatoには対応出来ません。
ましてや感動し、涙が出るなんてことはないでしょう…。
 
素晴らしい音楽家の演奏には、たった一つの短い音の中にも、魂に訴えかける生命力が込められています。
また、その場その場で反応する即興性にも敏感です。
 
民族音楽」や「民謡」には、いい曲、好きにな曲がたくさんあります。
この世界は、機械化されにくい領域だからかも知れません。
素朴な「民族音楽」や「民謡」の中には、未だ純粋な音楽のエッセンスが残されているように思います。