カーネーション

朝ドラの「カーネーション」を欠かさず見ていますが、前半はすさまじい反戦のドラマだったと思います。
終戦を迎えた日、「だんじり」を前に、づっと我慢してきた怒り、哀しみ、悔しさ、すべてを吐き出すように、激しく泣き崩れる糸子さんの迫力ある演技は、私がいままでに経験したいかなる反戦シーンよりも迫力と、訴える力を感じました。

それとは対照的に、愛国国防婦人隊や、帝国軍人かぶれの少年達が登場していましたが、教育の怖さ、不気味さを感じるものでした。

現在の北朝鮮を、洗脳された国民と世界中の人が非難しますが、当時の日本をおかしいと思う人はいなかったのでしょうか?

人間は教育次第で簡単に洗脳できるということが明白ですが、教育とは青少年を感化し善導することと考えられています。
洗脳と教育とはイコールであると考えた場合、私は教育というものに懐疑の気持ちを持たざるをえません。
私は教育を感化とか洗脳とはとらえません。
自立させるものだと考えています。 だからこそ長年教職の地位をつづけて来れたと思います。

教師は尊敬され、好かれてこそ本懐と考えるむきもあるでしょう。
しかし、尊敬されたい、愛されたという欲求は、教師は求めてはいけないと思います。
そこから、洗脳がスタートすると思います。

厳然たる真理を知る道への入口に向かうのを、見守ってやるだけしか、してはいけないと私は思います。