歌舞音曲のたぐいは‥‥、

春の甲子園野球(センバツ)が始まった。
いつもとは何か違う。
応援のバンド演奏が無い。
何か異変があると、真っ先に自粛をするべきは「歌舞音曲のたぐい‥‥」である。
「歌舞音曲」とはそれほどに不謹慎なものだったのか‥‥?
プロ野球の応援ならいざ知らず、あの高校生の、汗と涙の純粋な応援バンドのどこに「ピーヒャラ」と、「ちゃらちゃらしたもの」を感じることが出来るのだろうか?
                                 (違いのわかる大人はいないのだろうか?)
私は「歌舞音曲」は芸術であり、崇高な哲学であり、人間が生きる上でとても大切な学問であると信じてきた。
しかしながら、世間から、こうも「歌舞音曲のたぐい‥‥」と、虫けらのようにすげさまれては、自信が無くなってしまう。 地震とともに自信も吹っ飛んでしまった。(笑)
 
そう言えば、母校では音楽教諭の定員がなくなったらしい。
音楽は定員が減ると一番に削られる教科のようだ。
 
母校は、戦後いちはやくオーケストラを創設し、全国にも紹介され、戦後復興期のすさんだ心に、夢と希望を与えたということでも知られています。
常勤教諭がいなくなるということについて、それで「なんの問題もなし!」ということでしょうか‥?
そこで学んだ者にとっては何とも空しい限りです。
 
世界中の人達がバッハやモーツアルトや、ベートーヴェンを尊敬し、学んでいることは
「歌舞音曲のたぐい‥‥」、という言葉で一蹴される程度のものだったのでしょうか?
 
すべては無知に由来するものではないでしょうか?
本当に寂しい国だ!