アマチュアイズムについて

マチュアイズムについて

「アマチュア」という言葉には「熱狂的素人」という意味がある。、

熱狂的な素人は、ある側面において突出した力をもつ場合が多い。
その力には、歪さがあったり、バランスが取れてなかったり、
不完全なものだったりするけれど、
パッションは人一倍だし、どこか過剰に突出した部分をもつ。
そんな人は、時として知の専門家や、職人が思いもつかないことをやって、
驚かれたり、人を困惑させたりする。

その突風のような力は、時として革命を起こしたりする。

革命とまではいかなくても、
常識やスタイルの埒外で暴れ狂い、
常識の圏内でスタティックに安寧を得ている人々に対し、
ネグレクトできないレベルの、強い力や作用を及ぼして、
ほんの少しだけでも、まだ未明の世界のトビラく契機になったり、
あるいはノックすることで、多くの人達(マジョリティー、かな?)に
新鮮な刺激を与えたりする。

私のなかでは「アマチュア」というのは、だから「プロフェッショナル」
の立場からの「蔑称」ではない。

「アマチュア」はその過剰さ故に、アウトサイダーかもしれない。
そのこだわりにおいて変な人かもしれない。

でも、退屈や惰性に対する強い革命的な力をもつ。
「アマチュア」は革命家の資質である。

で、だれしも、アマチュア的な魂はもってるんじゃないかな?と思う。

節度を超えたこだわりや、
無意味(例えば経済原則において無意味と思われるような)行為や、
限度を超えた努力(でも、その人なりの特殊なやり方での)。
蕩尽。

人間は不合理をテイクすることも多いし、
不合理な部分と、合理的な部分を巧く組み合わせて
なんとか日々を面白おかしく生きれてるのではないか?

私は、そのようなアマチュアイズムに未だにロマンを感じる。
もはやカビ臭いロマン主義かもしれないが~、

そんな不合理で過剰で力強いものに心惹かれてて病まない。

我がうちなる革命家の魂は、
どんなに日々の暮らしにが安定して心満たされようとも、
身に巣食う呪いのように生息しているのを、やはり感じてしまう。