美辞麗句だけれど合点のいかない言葉

人生を素敵にする素晴らしい最少の言葉がある反面、美辞麗句だけれど、よくよく考えてみると合点のいかない言葉もあります。
そうした例を取り上げてみます。
 
○まじめ 
時間を守り、約束を守る人が「まじめ」と言われるようですが、これは自分より他からの尺度で判断される言葉であって、本質的な人間性とはあまり関係ないように思われます。 
本当の「まじめ」 とはそんな皮質的なも のではなく、再考する必要があります。 
夏目漱石の小説(彼岸まで、心、虞美人草等々)は、私にとってはバイブル的なものでした。    
 
○偉い人
偉い人というのはどういう人なのでしょうか?
博士や大臣になることを意味した時代もありましたが、現在偉い人とはどういう人を指すのでしょうか? 
とにかく、偉い人には近づき難く、あまり好きになれません。    
求められることは、偉い人より、立派な人になることではないでしょうか。
そこで、立派な人とはどういう人のことか?
このことこそ求める価値が深く、意味のあることだ思います。
 
○頑張る
頑張れという言葉は、艱難辛苦を乗り越えなければ出来ないことをさせる時に使っていませんか?   
人為的にハードルをつくり、それを飛び越えさせるところから発生しているように思います。
それを乗り越えてくれたら、利益を得る人が、勝手に造り出した言葉ではないでしょうか。
コンテストで1位を目指せ、東大に合格、一流企業を目指せ、仕事のノルマ達成、  等々。
本当は、この世には頑張らなければいけないことなんて、そんなに無いのではないかと思うのに、とにかく頑張らせているのは一体何なのか、考えてみたいと思います。
そんなことはない、何事においてもスキルを上げるには「頑張り」が大切だという人もいます。
でも、頑張ってスキルを上げるのが究極の目的ではないと思います。
「好きで没頭していれば、自然にスキルが上がってくる」というのが、自然であり、正常ではないでしょうか。
スキルを上げるのが目的ではなく、好きで夢中になるということこそ、人間として、大切なことではないかと思います。