お江戸に学ぶ

朝日新聞のオピニヨンに評論家の渡辺京二さんのインタビューが紹介されていました。
明治初期に東大に招かれた米国の動物学者モースが日本人を見て、19世紀末の当時、欧米の大都会でみられた労働者の打ちひしがれた表情、貧困の表情が日本の貧乏人には見られない、と驚いたそうです。

江戸には膨大な数の貧乏人がいたそうですが、彼らは、それぞれ居場所をもっていた。たとえば、煙管にヤニが詰まるとそれを掃除する仕事が職業になる。それで食べていける。
粗末な長屋暮らしで家具もほとんどない。しかし、そんな貧乏人が食事になると美しい食器を使う。その美意識にも驚いたそうです。

そういえば、江戸時代までは一般民衆はおろか、武士であっても、自分の置かれた境遇を変えたり、夢を見るということは出来ない時代でした。

明治維新以降、取り敢えず身分差別が緩和され、今度は「偉くなれ」「夢を持て」「成功しなさい」「末は博士か大臣か」と、立身出世が奨励されるようになりました。

しかし、明治時代に作られた立身出世の教えが、本当にそれが人間の求める仕合わせだったのだろうか? と、疑問を抱く人も昨今は生まれています。

しかし、「だからどういう生き方をすればよいのか?」ということは、簡単には発見できないで、路頭に迷っているところでしょう。

江戸時代までは、大半の人びとは何の目標も夢も無く、毎日働いて、贅沢もせず、貧しく淡々と暮らしていました。
そのことに何の疑問も不満も抱いていなかったと思います。
むしろ、毎日楽しく、幸せに暮らしていた。(想像ですが‥)

農民以外にも、桶屋、カゴ屋、大工、庭師 等々の士農工商の工商を生業とする人たち、少なくとも、自分に何か一つでも生産する能力があれば、たくましく生きていけていた時代です。
(工商を生業とする人たちは農家の次男坊以下、食いつめた武士などが生業にしたのが始まりと言われている。)

江戸時代の庶民の生き様は、現代の我々にもヒントを与えてくれそうです。

そして、当時も現在も、国はそんなに優しくもないし、助けてくれそうもないということは同じ条件かも知れません。