我が心のバイブル

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私のバイブルとも思っている「愛読書」です。

もう何年前になるだろうか、NHKのラジオで「朗読の時間」という番組があった。 
パパラギは…」と始まる中田薫アナウンサ-の実直さのかもしだす何処となくユ-モラスな朗読に思わず耳をそばだてた。
腹を抱えて笑いながら、後に胸にズシ-ンとくるその痛快さに、あわててその本を求めて書店に走った。

サモア島に住む酋長ツイアビが初めてヨ-ロッパを訪れ、その印象と驚愕すべき人間性の喪失を痛烈に演説しているのである。

音楽用語で「モデラ-ト」というイタリア語がある。
「中庸に」という意味であるが、実際に「中庸に」ということを音楽で表現するのは一体どうしたらいいのか難解なものがある。

そんなとき「パパラギ」という本に出会え、「中庸」という意味が見えるような気がしてきた。
「中庸」という精神状態を得るのは大変難しい。
そして「中庸」という境地を持つことは人間が生きる上で大変重要なことなんだということが思い知らされた。

フル-ト奏者の為に「ソノリテ」という練習本がある。
音をつくるための練習本であるが、これがまたシンプルだが内容の深い音楽家の為の哲学書みたいなところがある。
この本の価値についても「パパラギ」という本を知って以来、より深い理解ができるようになった。
ただ単に透徹した音を求める練習本に過ぎない。
しかし透徹した音を得ることによって如何に全てがうまく行くか。

野球のバッティングに似ているかも知れない。
うまくバットの芯に当たると気分が良くなって、その快感がさらにいい状態を創りだす。

それは昂ぶっていない、しかし静かな幸福感がある。
それが「中庸」という境地ではないだろうか。

フル-トではその一番大切な「中庸」という境地を、透徹した音作りで導きだす。

パパラギ」ではその人間として一番大切な「中庸」という境地を創りだすための大切なことを教えてくれているように思う。