自然農法で知られる福岡正信氏が音楽についても発言しています!

ちょっと難解ですが、わかるような気もします。
福岡正信氏の音楽観
 子供の耳は、ちゃんと音楽をキャッチしている。川のせせらぎを聞いても、水車のまわっている音を聞いても、森のそよぎの音を聞いたって、それが音楽なんです。本当の音楽なんです。
 ところが、いろんな雑音を入れておいて、耳を混乱させておいて、つまり、間違った道に子供を導いて、子供の純なる音感を堕落させてしまう。これでは不自然な状態、いわゆる放任状態になってくる。
 そして不自然な状態において放任しておくと、もう小鳥の声を聞いても、風の音を聞いても、それが歌にならないような頭になってしまう。
 そんな頭にしておるから、今度は一生懸命で音階とか音符とかを教えて、歌がうたえるように、音楽が聞けるように、作曲できるように教育しなければならなくなる。
 自然のままで、そのまま育てた場合には、本当の耳が澄みきっているから、流行にのったような音楽や楽器はひけないかもしれない。
 ピアノやヴァイオリンはひけないかもしれないけれども、歌をうたう心を持ってさえおれば、それでさしつかえないんだし、五線譜にあらわすことはできなくても、その耳、心が音楽にのっておれば、いつもそれで喜びを感じておれば、それで一向にさしつかえない。
 人間の心の中に音楽があることが先決であるのに、その心を失わないように育てていくという音楽教育をしなくて、それを不自然な環境の中でくもらせて、しかも、その状態のまま放任しておいて、今度は、やれ、詩が歌えない、歌がうたえない、音痴だ、といって子供の尻をたたく。
音痴なんていうのは、本来ないはずなんです。自分たちが子供を音痴にしておいて、今度はそれをなおそうとする。
 教育者も、人間のゆがみをなおす修繕屋にしかすぎない。
 一般には、自然がいいくらいのことは誰でも考えている。ただ、何が自然なのかがわかっていない。